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東京簡易裁判所 昭和48年(ろ)586号 判決

被告人 赤尾国彦

昭一九・一一・一五生 団体職員

主文

被告人は無罪

理由

本件公訴事実(ただし、訴因変更後のもの)は、「被告人は、昭和四八年一一月三〇日午後二時二〇分ころ、東京都練馬区北町五丁目一八番地先路上において、八田正彦(当三二年)に対し、同人が被告人の両腕肘関節付近下部を掴んでいた両手を、両肘を張つたまま激しく身体諸共左右に半回転させてふり回し、右八田正彦の左手を停車中の自動車ドア後枠付近に強打させる暴行を加え、よつて、同人に約一週間の加療を要する左薬指、中指末節部擦過傷の傷害を負わせたものである。」というのである。

ところで、当裁判所は、関係各証拠を総合して、つぎのとおり認定する。

被告人は、大日本愛国党の党員で、普通自動車の運転免許を受有しているものであるが、右当日、文京区大塚にある大日本愛国党本部から石塊やコンクリート破片などをふくむ残土を、普通貨物自動車(レンターカー)に積載し、埼玉県川越方面に捨てに行くため、実兄道彦(同じく、大日本愛国党員で、普通自動車の運転免許を受けている。)の運転する右貨物自動車の助手席に同乗して、午後二時五分ころ練馬区北町五丁目一二番地先路上(車道の幅員約一七メートル)にさしかかつた際、おりから同地先で積載重量違反車両取締りの任務に従事していた警視庁第一交通機動隊第一中隊所属の巡査八田正彦が、その車両の状況などを一見して、積載重量違反の容疑があると考えたので、ただちに同車を停止させたうえ、運転者である前記道彦に対し、付近の台貫所におもむいて積載量を測定するように求めたが、同人が違反の事実はないからと言つて、これに応じようとしなかつたので、開披されていた運転席の窓ごしに二~三押問答をかさねていた。ところが、かねて監視などの用務のために前記党本部に出入りしていた大塚警察署勤務の警察官から、「目方のわからない物については、荷台のパレツトから出ない程度に積めば違反にならない。」という趣旨のことを聞き及んでいたばかりでなく、また、当時の積載状態やブレーキのきき具合などからしても積載重量違反はしていないと思い込んでいた被告人は、いきなり助手席から下車し、同車両の後部をまわり込んで、運転席側から車内に乗り込み、道彦を助手席に退避させて、みずから運転発進し八田巡査が、左手で運転席側のバツクミラーをつかんで「止まれ」と叫び、さらに警笛を鳴らすのもかまわずそのまま成増方面に向かつてその場から迯走しはじめたのでこれを見た同巡査は、付近で同様取締りの任に当たつていた同僚の巡査武田和土に応援を求め、これに応じてオートバイ(いわゆる白バイ)に搭乗し、被告人運転車両(以下、被告人車という。)の追跡をはじめた同巡査に続いて、パトロールカー(いわゆるパトカー)を運転して、その跡を追い、約一五〇メートル進行した地点において、武田巡査が、被告人車の前方五メートルくらいのところにまわり込んで、同車両を道路左側センターライン寄りに、停止させじやくかんおくれて、八田巡査も、また、そのパトカーを武田巡査の白バイの前方約三メートルの地点に停止させた。

そして、白バイから降りた武田巡査が被告人車の運てん席の外側あたりに近づくと、運転席の被告人がドアーをロツクする気配を示したばかりでなく、さらに全開していた窓ガラスを上部に上げて窓をしめようとしたので、同巡査は、とつさにその左手を窓ガラス上部の間隙からさし込んでロツクを外しドアーが開披されるや、八田巡査は、被告人の迯走をふせぐ目的で、左手で被告人の右肘のあたりをおさえ「降りろ。」と強く言つて下車を促したが、被告人が、これを拒否し、その手をふり払つて応じないのを見るやこんどは、左手で再度被告人の右腕の肘関節のあたりをつかむと同時に、右手を被告人の前側にのばして、その左腕をつかみ、一~二回力を入れてその両腕を強くひつぱつたため被告人の上体が右方に傾き、あやうく車外に落ちそうになつたとたんに被告人が、あわてて同巡査の手を払いのけようとしてその上半身を左右に二回くらいふり動かしたはずみに、その際被告人の左腕をつかんでいた八田巡査の左手の指が被告人車運転席ドアー開閉部車体の枠に接触擦過し、その結果、同巡査は、その左の薬指と中指との末節部に起訴状記載のような傷を負つたものである。

そこで、つぎに、本件における重要な争点について、順次検討する。(中略)

そこで、さらに進んで、八田巡査が、被告人の両腕をつかんで無理に車外に引きおろそうとした行為が適法(合法)な職務行為と認められるかどうかということ、考えてみなければならない。

さて、本件のばあい八田巡査が右のような行為に出るより前の時点において武田および八田両巡査の白バイまたはパトカーによる被告人の追跡と同車両を停止させるためにした武田巡査の前方まわり込みによるその進路の阻止、同巡査によるドアーロツクの解錠および右両巡査のいずれかによるドアーの開披というそれぞれ多かれ少なかれある程度の実力行使の要素をふくむ諸行為が先行しているが、これらは、いずれも、本件の具体的事情のもとにおいて、警察官職務執行法(以下、警職法という。)二条一項による職務質問又はとくに積載重量違反被疑事件についての刑事訴訟法一九七条による任意捜査(本件においては、証人熊澤和與の言うとおりこの両者が競合しているものと考えられるが、両者いずれも、非強制的な点をその本質としているものであるから、以下特別の必要があるばあいのほかは、一応もつぱら職務質問としての面を対象として論ずることとする。)を実質的なものとするために必要な前提的行為ないし附随的行為として、警察官に許される相当な行為である、と解せられる。なお、本件のように、警察官が積載重量違反の容疑にもとづき、台貫所への車両回送方を当該自動車の運転者に求めている際それまで助手席にいた氏名不詳の者が、にわかに運転者とその席を交替し、みずからその車両を運転発進してその場から離去しはじめたばかりでなく、その後いつたん車両を停止してからも警察官の近づくのを見るや、そのドアーをロツクし、かつ、窓ガラスをしめようとするなどの異常な行動に出たばあいには、その停止の結果を確実ならしめ、所要の職務質問を円滑効果的に行なうため、一応その車を左側に寄せるなどして道路の交通状況等を充分配慮したうえ、その者に対してとりあえず一時下車を求め、これに応じないときには、説得によつて飜意方を促すことができるが、さらにその際の状況のいかんによつては、手を相手方の身体にふれるなどして、その自発的行動を勧奨する行為に出ても、それが客観的に判断して、強制にわたらず、任意と認められる域を越えないかぎりにおいては、なお、適法な職務行為と評価されてしかるべきであろう。それではさらに、警察官が、判示認定のとおり、その者の両腕を両手で押さえ、その意思に反して無理に車外に引き降ろそうとする行為が適法として許されるかというのが本件における一つの重要な問題である。

ところで、本件事案の具体的状況は、さきに判示したとおりである。もつとも、検察官は、この点につき、はじめ頭初の論告では、「八田巡査は、被告人に降車するよう『降りてください』と声をかけ、かつ、手をかけたもので、これは、降車を促す行為であつて、強制的に降車させるために引つぱつたのではないから、その行為は、警職法二条一項にふくまれる。」と主張していた。もし、同巡査の行為が、実際その程度に止まるものであつたとすれば、さきにも述べたところに照らし、いちがいにこれを違法とすることはできないであろう。しかし、八田巡査は、第一回の証言の際、「自分は、左手で被告人の右腕をつかみ、右手でジヤンバーとか左腕をつかんでおろそうとした。はじめはそんなに強くつかまなかつたが、降りないので、一~二回力を入れて引つ張り、被告人を車から降ろした。」「自分は、下車を促すため、はじめ、左手で、被告人の右肘をおさえたが、頑として応じないのでそれから右手を出し、相手の左腕を持つて実力を行使した。第二現場では、自分が腕をつかんでおろしたのです。」と述べて、自分が、被告人の両腕をつかんで、一~二回強く引つぱり、結局、被告人をその意思に反して、事実上車外に引き降ろしたことをはつきり認めているのである。ところが第二回目の証言の際最初は、左手の指には力をいれず、あくまでも右腕に添える感じであつた。最初は手を添える程度であつたが、そのうち次第に握るような感じになつた。力をいれてぐつとひつぱるということはない。そのうちに本人も降りる気持になつて降りた。」などと言つていたが、結局被告人を降ろすために右腕を引つぱつたこと、多少引つぱつたら被告人が体を傾けたが、それは、自分に引つぱられたために多少そうなつたのかも知れないこと、被告人の身体が自分に引かれて外の方へ傾いたとたんに腕をゆすつたので、自分の手が車体のドアーのうしろにぶつかつたこと、などを認めるにいたつているのであるから、そうなると、「警察官が、片手で自分の手をひつぱつたため、上体が傾き落ちそうになり、さらにひつぱられたので、自分で出た。警察官は、最初片手でひつぱつたが、最後には両手でひつぱつた。」という被告人の供述と、その実質において、ほとんどちがわないことになる(もつとも、被告人が、自分をひつぱつた警察官は、八田巡査ではなく、武田巡査であると言つていることは、さきにも述べたとおりである。)。一方武田巡査は、八田巡査の言葉は、「違反ですよ。」「降りて下さい。」という柔かい調子ではなく、一般の会話より語気の強いものであつた、とは言つているが、同巡査が被告人をひつぱつたかどうかの点については「八田巡査が、左手を被告人の右腕の下側にかけたとき、被告人は、右肘を一回横にふつてふりほどいた。八田巡査は、もう一度左腕を出し、その上に右手をかぶせるようにしてハンドル付近にじやくかん身体を入れるような格好で手をさしのべ、『降りなさい。』と催促していた、通常いう『引きずりおろす』という動作ではなく、形式的にひつぱる動作にも見えなかつた。………通常ひつぱるばあい、手に一関節力が入る状態になるから、外形的にわかるが、その時点では、手のかけぐあい、八田の構え方からいつても、おさえてはいても、ひつぱるような動作ではなかつた。」と述べているが、同人のいう八田巡査の手のかけぐあいや、その身の構えかたからすれば、むしろ、両手の力で強く被告人の腕をひつぱつていたものと推測されこそすれ、ただおさえていた状態であつたとはとうてい考えられないのであつて、現に、武田巡査も、その後八田巡査が、肩の手をおさえ、さほど強くひつぱつたわけではないが、相手を自分の方に引きよせようという状況であつたことを認めているのである。それに、もともとその現場で、被告人の車両を停止させたのは、八田巡査ではなく、武田巡査であつたにもかかわらず、被告人が、その後車外で、もつぱら八田巡査を対象としてその胸ぐらをつかんで小突くなどのもみ合いをしているのも、つまりは、被告人が、同巡査に自分の両腕をつかまれ、強引にひつぱられて無理矢理に下車させられてしまつたことに対する憤激の念によるものと考えるのがむしろ自然であり、また、八田巡査の「私が手を放さないで、被告人を車から降ろすと、相手は頭にきたらしく、私のジヤンバーの両襟をつかんで、押したりひつぱつたりした。」という供述によつても、おのずから右の消息を窺い知ることができるものと思われる。

ところで、八田巡査は、「私は、はじめから被告人を下車させるつもりで追跡したわけでなく、すなおに台貫所へくれば、降ろすまでの気持はなかつたが、さらに迯走の気配があつたので、下車させようとした。」と証言しているがそれでは、その「迯走の気配」とは具体的にどのようなことを意味するのであろうか。同人の言うところを点検してみると、被告人がハンドルから手を放さなかつた、車のエンジンがかけぱなしにしてあり、エンジン音がきこえていた、被告人が、バツクすれば、ハンドルを切り返えして発進できる状態であつたという三点につきるようであり、検察官は、そのうち第二の点を最も重視し、その補充論告の中で、「エンジンは停止されておらず、ただちに発進可能の状態にあつた」ことを強調している。しかし、この点については、八田巡査よりも早い段階で被告人の車両に接近し、しかも、窓ガラスの上部の隙間から手をさし入れてドアーのロツクをはずし、その後も被告人が車外に出されるまで終始その車側から離れていなかつたと認められる武田巡査が第二回尋問の際、検察官の「当時エンジンは動いていたのか。」との発問に対して、「止まつていたように思う。」と答え、さらに検察官が、「証人が、ドアーロツクを外したときにはエンジンは始動していたのか。」と問いただしたのを受けて、「すでに切られていたと思う。」とはつきり述べていることをまつたく看過しているのであつて、とうてい賛同することはできない(もつとも、第一回尋問において、同巡査は、同じく検察官の「被疑車両は停止中もエンジンをかけていたか。」との質問に対し「かかつていたと思います。」と答えているが、それは、本件現場の次の地点(いわゆる第三現場)で被告人車がかさねて停止した際のことを言つているのであつて、本件第二現場のこととはなんらかかわり合いのないものであることは、その前後を通じて行なわれている尋問応答の関係から見ても明らかである。)。また、武田巡査の証言によると、ドアーが開披されたとき、被告人の右手か左手かのどちらかがハンドルにかかつていたことは窺われるにしても、被告人が、その両手をハンドルにかけ、しやにむにそのまま発進しようとする体勢をとつていたとは認められず、いわんやギヤーはニユートラルで、被告人は、別段クラツチ板を踏み込んでいたわけでもないことは、エンジンが始動していたと言い張る八田巡査自身もこれを認めているのである。さらに、その際における被告人車と後車との距離関係は、証拠上必ずしも明白でないが、仮に多少のゆとりがあつたとしても、それだからといつてただちに被告人に迯走の気配があつたといえないことはもちろんであり、また、もしその点がそれほど憂慮されたとするならば、むしろ、八田巡査としては、はじめから被告人車の後方にパトカーをとめるか、またはそれが無理ならば、斜めにでもして割り込み、あらかじめ被告人車の退路を遮断しておけばよいわけであつて、同巡査が「自分は(被告人車の)ロツクやチエンジレバーのこともあり、(被告人の)運転操作を見るためもあつて、うしろに止めなかつた。」と言つているのは、理解しかねる(被告人車は、その際すでに、武田巡査の白バイによつて停止され、または停止されつつあつたのであるから、被告人の運転操作を見るなどということは無意味であり、また、ロツクなどの状態は、外部から一見して、たやすくわかるような性質のものではない。)。それに、被告人車のドアーのロツクも武田巡査によつてすでにはずされ、ドアーも開披の状態になつていたことを看過してはならない。もちろん、被告人が、頭初の地点から本件現場までみずから自動車を運転して迯走して来た判示のような経緯から見て、それを追跡して追いついた八田巡査らが、再度の迯走に対して警戒の念を抱くのは、それ自体としてむしろ当然のことではあるが、それだからといつて、いまだ強制処分の要件が必ずしも、充分にかたまつているわけでもなく、また、八田巡査としても、その時点においては、被告人を強制処分の対象にしようとする意思などは全然抱いていないにもかかわらず、具体的に迯走を開始しようとする挙動をとつていたわけでもない被告人の身体に対し、ただちに前記のような強い実力を行使しても許されるという見解は成り立ち得ないものといわなければならない。なお、検察官は、その補充論告の中で「積載重量違反と認められる車両の運転を放置すれば、事故発生の蓋然性が高く、人の生命身体に重大な損害を与える虞れが強いうえ、うんぬん。」と述べて、あたかも八田巡査の被告人に対する本件行為が警職法五条後段による制止行為に該当するというような趣旨の口吻ももらしている。周知のとおり警職法五条にいわゆる「犯罪がまさに行われようとする………とき」というのが、ある犯罪が行なわれようとする

ばあいにおける当該犯罪の実行開始に接着した事前の時期、段階だけを指称するのか、それとも、行為の一部がすでに犯罪として既遂に達する一方、さらに、別途「犯罪が(継続して)まさに行われようとする……とき」をもふくむのかについては、見解の岐れるところであるが、仮に後者の立場をとるにしても(たとえば、鹿児島地方裁判所の昭和四六年六月二四日判決参照)、もともと本件のばあいは当該行為者である被告人を積載重量違反あるいは無免許運転という現行犯人として被告人を逮捕しうるだけの要件が客観的にそなわつていたとばかりは、必ずしも言えないように思われるし、もつとも、この点につき、八田証人は、被告人車の後部荷台が沈み、後車輪のスプリングが下方にしなつているうえ、エンジン音が異常に大きかつたことなどを指摘しており、武田証人も、また、おおむねこれに沿う趣旨の供述をしているが、その後に行なわれた測定の結果判明した積載重量違反の程度((二割三分弱の超過))で、格別異常に脆弱な構造をもつているとも思われない最大積載量一、二五〇キログラムの本件普通貨物自動車が、一見して明瞭なほどのそのように異常な状況を呈することは、絶無ではないとしても、にわかに理解し難いので、司法巡査撮影の写真のうち右車両が写されている[1]および[2]をしさいに点検して見たが、格別異とする点も発見されず、また、試みにそのうちの一葉を前記熊澤証人に閲覧させたが、拡大鏡を用いてその結果は、やはり同じであつた。また、仮に、多少八田証人らの言うような状況が窺われたとしても、それだからといつてすでに停止しており、エンジンも始動していたと思われない前記のような具体的状況のもとにおいて、その車両の運転席から被告人を無理矢理に引き降ろさなければ、人の生命もしくは身体に危険が及ぶ虞れがあつて、急の間に合わないばあいであつたとも考えられないから、いずれにしても、警職法五条の制止行為として、八田巡査の本件行為を適法とすることはできないのであつて、現に、当の八田巡査も職務質問の範囲として被告人を下車させたものであることをはつきり述べていることを看過してはならない。このばあいに、被告人が現行犯人として、不逮捕の保障を要求する資格がないからといつて、警職法二条又は五条の適用について、通常より重い受忍義務を負担しなければならないというすじあいのものでないことは、もちろんである。

ところで、検察官は、前記補充論告において、本件程度の実力行使は、その具体的事実関係の下では、迯走しようとする被告人に飜意を促すため、必要、かつ、最少限度の行為と目され、客観的に妥当であり、適法行為であるとも主張している。しかし、このばあい、被告人が迯走寸前の体勢にあつたとは、本件の具体的事実関係の下において、とうてい認められないことは、さきにも述べたとおりであるが、それはそれとして、八田巡査が、第二現場において、前記のような実力行使に出る前に被告人に対し、その飜意を促すためどの程度の説得行為をかさねたかを、証拠にもとづいて検討する必要があるであろう。この点につき、職務質問の適法性の問題を取り扱つた数多くの判例を調べてみると、その中に、「もし相手方が、警察官の一応の質問に答えずあるいは停止を肯じなかつたとしても、ただちに質問を打ち切るべきでなく、その具体的場合に即応し、警察官としての良識と叡智を傾け臨機適宜の方法により、あるいは注意を与え、あるいは飜意せしめて、本来の職責を忠実に遂行するため努力を払うのが、むしろ警察官の職務である。」という見解を判示したものがある(昭和二八年九月二日名古屋高等裁判所)。そこで、いまこの見解を基準として本件において、八田巡査が被告人車の停止後、前記のような手段、方法によつて被告人を下車させるまでに、同巡査あるいは、武田巡査が、警察官として、どのように「良識と叡智を傾け」「臨機適宜の方法により、あるいは被告人に注意を与え、あるいは飜意せしめ」ることに努めたかを考えてみることにする。まず被告人に対して、運転免許証の提示や下車を求めたかどうか、もし求めたとすれば、いつどの段階で求めたのかという点である(頭初の第一現場ではそのようなことを求めるだけのゆとりもなく、また現実に被告人の免許証などを見ていなかつたことは疑いがない。)。同巡査の一、二回尋問を通じての右に関する証言は、つぎのようになつている。「私がパトカーを降りたとき、川名巡査が、運転台にいる被告人に免許証の提示を求めて話をしており、武田巡査は、運転席の外側にいた。私も、その場に近づき、免許証を見せるように言い、また、車から降りるように言つたが、降りようともせず、ドアーにロツクした。」「迯走したり、鍵かけたり、重量の測定を無視したり、運転交替したりしたし、免許証も提示しないので、無免許の疑いもあり、また、車にはレンタカーの標示(「わ」があり、石ころなど積んでいるので、兇準の疑いもあつたので、降りるように言つた。」「被告人を降ろす前に『降りてきなさい』と四~五回言つたと思うが、迯走しているので、その理由は別段告げない。」「私が現場についたとき川名は運転席側にいないので、そのときはオートバイの方にいたと思う。」「ドアーをあけてから、車外から最初左手で相手の右肘をささえるようにして、強い語気で『降りろ』と言つた。そのとき『免許証見せろ』と言つたかどうかおぼえていない……言つたことはまちがいないと思うが(『単に思うというのか』と念を押されて、「言つたことはまちがいない」と言いなおす。)「第二現場でドアーをあけ、肘をささえ、『降りなさい』と言つた時点で運転免許の提示を求めた。」以下によつてもわかるとおり、八田巡査の証言には、明確に事実と相違する点があるし(川名巡査が運転台にいる被告人に運転免許証の提示を求めて話をしていたという点)、前後にくいちがいのある点もあり(最初左手を被告人の右腕にあて「降りろ」と云つた時に免許証の提示を求めたのかどうかという点)、同巡査が、被告人の腕に手をかけてから以後、理由は告げないが、四~五回にわたつて強い語気で「降りろ」と言つたこと以外は、具体的に必ずしも明白でない(同巡査が、被告人車に近づいたとき免許証を見せるように言つたというのも、その際は武田巡査がまだロツクをはずす前であり、ドアーもまだしまつていたとすれば、その時点で八田巡査が車中の被告人に対してそのようなことを言つたというのも、にわかに合点し難い。なお時点は少しずれるが、八田巡査が、その後の車外におけるもみ合いの際にも免許証の提示や積載重量の測定に応じるように話したが、被告人があくまで拒否した、と述べているのは、他の関係証人らの供述と対比してみても明らかに不自然である。)。そこで、つづいて武田巡査の同じく第一、二回尋問を通じての証言を見ておく必要があるが、それは以下のとおりである。「私がロツクをはずそうとしたとき、八田巡査が来てドアーをあけながら、免許証持つて降りるように言つていた。」「私は、窓から手を入れるとき、被告人に何か言つたが、それが重量違反のことか免許証提示のことか言葉はおぼえていない。」「私か川名のどちらかが免許証の提示を求めたと思う。」「八田巡査は、被告人を降ろす

とき、免許証の提示を求めたが、被告人は、『違反(重量違反のことと思う。)はしていない。おまえらの言うとおりにする必要はない。』と言つた。」「八田巡査が免許証の提示を求めているのを耳にしたことはまちがいないし、自分か川名かのどちらかがそれを求めたこともまちがいない。」「私は、運転台の脇に行き、『免許証を持つて降りてくるように』と言つた。八田巡査が、右手でドアーをあけ左手を右腕の下側にかけ車から降りるように促し、その後ハンドル付近に若干体を入れるような格好で手をさしのべ『降りなさい』と催促した。」「私は、被告人の車を止めてから、『免許証と車検とを持つて降りて来てください』と言つた。」「被告人が車から降りるまでの間に、八田巡査がなんらかの言葉をかけていたことはまちがいないが、それが必ずしも『免許証を持つて降りてくるように。』という意味ではない。降りてくるように促したことはまちがいない。」以上によると、武田巡査か川名巡査のどちらかが被告人に対して運転免許証の提示を求めて下車を促した、というのか川名巡査ではなくて武田巡査自身がそれをした、という趣旨なのかよくわからないし(ちなみに、川名巡査の証言によると、同巡査は、車外の歩道上にいた赤尾道彦に免許証の提示を求めているようであるが、被告人に対してそのような行為に出た形跡はいささかも認められない。)また武田巡査自身が被告人に対してそのようなことを言つた記憶があるのか、あるいは、単に窓から手を入れるとき何か言葉はかけたが、それが重量違反に関することであつたか、または免許証の提示を求めたのか、その内容をおぼえていない、というのかはつきりしないばかりでなく、さらに被告人が車外に出るまでの間に、八田巡査が、免許証の提示を求めているのをたしかに耳にした、という趣旨か、それともただ、被告人に対して何か言葉をかけたことはまちがいないが、それが免許証のことであつたかどうかまではわからなかつた、という意味であるかどうかもさだかでない。したがつて、そうなると、八田巡査が、語気鋭く「降りろ」という言葉をくり返しながら被告人の両腕をひつぱつたことはまちがいないとしても、それ以外にはたして、同巡査か武田巡査、あるいはその双方が、被告人に対し、まず職務質問のきつかけとして運転免許証の提示を求めた事実があるのかどうかさえも、一義的には必ずしも明らかでなく、また、その事実があつたとしても、その時期、段階などの具体的状況も確実に把捉し難いうらみがある、といわざるを得ないから、一方において、「被告人は、車をとめてから一〇秒くらいのうちに、いきなり引きずりおろされた。」という赤尾道彦の証言や、また、「巡査は、何も言わずにドアーをあけ、いきなり自分の手を持つて、がむしやらに引きずりおろした。」という被告人の供述にもまつたく聴くべきものがないとまでは言えないことにもなるであろう。さらに、さきに右のほかにも、八田、武田両巡査が、被告人に対して、いささかなりとも説得を試み、あるいは注意を与え、または飜意を促すような措置をとつたことを窺い知りうるようなふしがあるかどうかを調べてみても、これを肯定するに足る証跡がないばかりでなく、かえつて、右両名の証言を総合すると、すくなくとも被告人車のドアーを開披した以後の段階においては、両巡査とも、被告人に対してまず車両を左側に寄せるように指示したこともないし、またそのうえで被告人なり、あるいは最初にその車両を運転しており、そして、現に助手席に同乗している赤尾道彦なりを説得しようという意思もなく、それにそもそも本件紛争の発端となつた積載重量違反の点についても、被告人や道彦が、いずれも強く、これを否定しているにもかかわらず、同人らに対して、その容疑の認められる具体的な状況(ただし、その後に行なわれた測定の結果によると、前記のとおり、その超過重量は、二割三分弱であつて、当日の検挙基準である「五割以上」にははるかに達していないことが判明している。)を指示説明して納得させあるいは、ばあいによつては右違反の現行犯人として逮捕することもありうる旨を告げて飜意を促そうとするだけの努力を払つた形跡もないことが明らかである(なお、武田巡査は、白バイで被告人車を追跡して、それと並進状態になつたとき左へ寄るように言つたと述べているが、それならば、その後被告人車が停止し、ドアーも開披された段階において、なぜ一応かさねてまず左へ寄るように指示しなかつたのであるか、理解し難いといわざるを得ない。)。このように、叙上の経過をくわしく見てくると、一方において、被告人の言動にも、常識上、行き過ぎと認められる点のあることはたしかであり、それに対して、その衝に当たる警察官として、強い憤まんの念を禁じ得ないものがあつたとしても、そのこと自体はあながち

わからないわけでもないがそれにしても、ともかく、すでに二名の警察官が白バイとパトカーとで追跡を行なつて、その車両を停止させ、ドアーも開披した段階にいたつているのであるからこの段階において一応その車両を道路の左側に寄せさせ、交通渋滞の緩和をはかるとともに、あわせて充分な説得をなしうるだけの余裕を得る措置を講じたうえで、両巡査相協力して、白バイやパトカーをその付近の適宜の位置に停車させるなどして、万一のばあいにおける迯走の再発を防ぐと同時に、車内にいる被告人や道彦に対し、できるだけ冷静なふんい気を保つて根気よくその飜意方の説得に努めることこそ、まさに強制処分と異り相手方に対する任意の説得を本旨とする職務質問を行なうについて警察官としての「良識と叡知」にかなつた適正な職務執行の方法であり、また、証人熊澤和與の供述によつて窺われるこの種の取締りについての上司の指導の趣旨にも沿いうるゆえんである、と言い得るのであつて、かく解することがその任に当る警察官らをして徒らに退嬰的な態度をとらしめ必要とする職務の執行を躊躇するにいたらしめるおそれがあるなどとはとうてい考えられないばかりでなく、現に本件のばあいにおいても、八田巡査が、停車した被告人を早く下車させようと焦慮することなく、武田巡査とともに、まずとりあえず被告人に対し、その車両を道路の左側に寄せるようおだやかに指示を与えさえすれば、被告人としても、それをすらあえて頑強に拒むほどの挙に出なかつたであろうことは、被告人自身の「その際左側に寄れ、と言えば寄つたと思う。」との供述によつても窺われるし、また、現に、証人淵本強、同高野勇の各供述により、その後の段階において、被告人が、その場に臨場した右淵本巡査部長の指示に従い、みずからその車両を道路の左側端に寄せて停止し、同巡査部長との間に二~三の問答をかさねていることが認められる事実に徴しても、右が単なる憶測に過ぎないものでないことは明らかである。ところが、被告人が、右のように、その車両を道路の左側端に寄せて停止した、ということについては、八田、武田の両巡査は、いずれも口をそろえて、これを否定しているばかりでなく、武田巡査にいたつては、その場に淵本巡査部長がいた記憶もない、とさえ言つているのである。しかし、車外で八田巡査や武田巡査らと激しいもみ合いをしていたという被告人がなぜ急におとなしくなつたのであるか、それにまた、被告人を無理にでも車外に引きおろさざるを得ないほどその迯走を恐れていたという両巡査が、たとえその際における道路の交通渋滞の状況がどうであつたにせよ、にわかに自分らの白バイやパトカーの位置移動のことに気をとられて、肝心の被告人の身辺から視線をそらせ、せつかく下車させた被告人がふたたびその車両に乗り込み、これを発進させるまでまつたく気がつかなかつたというのは、どういうわけであろうか、まつたく理解に苦しむほかはないのであつて、これはやはり、淵本証人の言うとおり、同人が、もみ合いの中に割つて入り、「やめなさい。」といつて双方を引き離し、被告人に対し、「事情を聴くから」ということでとにかくその車両を道路の左端に移動させるように指示し、被告人もまた、これに従う気配を示したので、その場にいた八田、武田の両巡査らも一応その処理を淵本証人にまかせ、それぞれの車両を道路左端に寄せ、または寄せようとしていたものと解するのが最も自然である、といわざるを得ないであろう。もつとも、被告人は、右のように、淵本巡査部長の指示に従つてその車両を道路の左端に寄せて多少の時間停止し、乗車したままの状態で、同巡査部長との間で台貫所への同行の件につき、二~三問答をかさねた後、そのとき車外にいた兄道彦にも無断でドアーにロツクしたうえそのままふたたび車両を発進させてその場を離脱してしまつたことは、淵本証人の供述によつてもまちがいないものと認められる(この点につき、証人赤尾道彦および被告人本人は、被告人が、その場でいつたん下車し、警察官と話し合つた、と述べているが、これらの供述は、右淵本証人をはじめ、川名、高野、八田、武田ら他の関係各証人の証言に照らし、とうてい採用することができない。)。しかし、これについては、被告人自身も言うように、「また殴られたり引きずり降ろされたりしてはかなわない。」という被告人の内心における気持もなかつたとはいえないであろうし、また、周辺にいた警察官ら(この際には、八田、武田両巡査のほかに川名巡査も、白バイをとめて、その場に来合わせていた。)がその気をゆるすことなく、万一のばあいにおける被告人の迯走を防止するために有効、適切な措置をとり、あらかじめその進路を遮断する等の手段を講じてさえおけば、この事態は、優に未発のうちに防ぎ得たものとも考えられるから

このような事後における不慮の出来事があつたことを理由として、頭初から、被告人を無理にでも下車させなければその車両を道路左端に寄せさせるすべはまつたくなかつたとか、または、車内にいる被告人や道彦の説得のために時間をさくゆとりが全然なかつたなどと速断することの許されないのは言うまでもない。この意味において、八田巡査の本件行為は、警察官としてはたすべき説得の職務を充分尽くした後における、真にやむを得ない必要、かつ最少限度の実力行使である、ということもできない。

もちろん、この種の問題についてはあくまでも、具体的状況に即し、各事案の個性に応じ、公務の執行によつて保護されるべき国家的利益とそれによつて侵害される個人的法益との調整の線に沿う公務執行行為の要保護性の基準に照らして、個別的、具体的にその職務行為が適法かどうかを判断しなければならないことは、多言を要しないところである。したがつて、たとえば、職務質問中迯走した者を追跡停止させて職務質問をつづけるため、迯走者の背後からその腕に手をかける程度の実力行使に出る行為や、警察官が、任意同行を求める事情を説明するためにその措置として、相手方の肘あたりをおさえ、ちよつと引く程度の行為をいずれも適法とした判例がある(前者は昭和二九年七月一五日最高裁判所第一小法廷、後者は昭和三〇年一〇月一三日仙台高等裁判所)からといつて、ただちにこれを抽象化して拡大解釈したり、また、「具体的に妥当な方法と判断される限り、暴力にわたらぬ実力を加えることも正当性ある職務執行の方法である。)という判示(昭和二七年一二月一五日札幌高等裁判所函館支部)を、それが警察官に職務質問のため呼び止められ、小脇にしていた風呂敷包の内容の提示を求められた被告人が簡単に応答しただけで、提示を拒否して立ち去ろうとした際警察官が、肩に手をかけ停止を要求した事案についてのものであることを捨象して、これを一般化しようとすることは、もとより許されないし、とくに最近職務質問にあたつていた警察官が、すでに相手方の手からはなれていたそのシヨルダーバツグのチヤツクを同人の意思に反してひらき、内容物をそのままの状態で外から一覧した行為も、問題となつている容疑事実の重大性と危険性(同人らが厚木航空基地などの米軍基地を爆破しようとしていたのではないか、バツクの内容物がそれに用いるための爆発物ではないか、という重大犯罪についての容疑が相当濃厚になり、これをそのまま放置しておくのは危険であるという緊迫した状況にあり、警察官も、また、そのように感じていたと思われる。)、実力行使の態様と程度、これによつて侵害される法益と保護されるべき利益との権衡等からみて警察法警職法をふくむ法秩序全体の精神に反しない社会的にも妥当性の肯定される行為として許容される、という趣旨の判例が出された(昭和四七年一一月三〇日東京高等裁判所)ことに意を安んじ、徒らにこれを抽象化し、一般化して、ただ取締りの便宜という点を重視するのあまり、公務執行行為の適法性の限界を不当に弛緩させることは、右判決が、わざわざその判文の中に「………この種の行為は、あくまで具体的状況に即し、具体的にその適否を判断すべきで、徒らに事を抽象化し一般化して論ずるのは、人権保障上も刑事司法の運営上も好ましくなく、この点に深く留意する必要がある……。」という括弧書きまでを挿入して、おそらくは極限的事例のものと思われるその判例の評価についてとくに、慎重を期する必要のあることを付言している判旨自体の趣旨にもそわないものといわなければならない。なおまた、最近、「交通取締を実施していた警察官が、停車の合図に従わずに加速して検問場所を通過して迯げようとした自動車運転者に対し、酒酔い運転について取調べる必要を認めて降車を求めたのにかえつて発進しようとしたため、これを阻止しようとした警察官に対し、右自動車運転者が暴行を加えた場合は、公務執行妨害罪が成立する。」という要旨の付された判例も示されている(昭和四八年四月二三日東京高等裁判所)が、そこで問題とされているのは、加速して検問場所を通過して迯げようとした被告人車を追跡してこれに追いつき、酒気の検知等被告人の酒酔い運転について取り調べる必要を認め、再三降車を求めたが、被告人が、これを聞き入れないばかりでなく、急にエンジンを入れてギアに手をかけ発進しようとしたので、そのエンジンを切るため、手を同自動車内にさし入れた警察官の行為が、自動車検問ないし職務質問に関連する適法な職務行為として是認できるかどうかという点であつて、本件において論議の対象とされている警察官の行為とはその態様および程度がいちじるしく異り、事案の具体的内容そのものも彼此の間に実質的な差異のあることが看取されるから、本件に適切な判例ということはできない。

したがつて、このように事をわけて考えてくると、本件において、八田巡査が、その両手で被告人の両腕をつかみ、車両の交通ひんぱんな道路上の中央線近くに停止しているその自動車から、その意思に反して、無理矢理に、被告人を車外に引きおろそうとした行為は、その当時における具体的状況を客観的に観察し、また、問題となつている容疑事実の内容とその危険性の度合い、右実力行使の態様、程度その必要性の有無、このような行為によつて、保護されなければならないとされる国家的利益と現実に侵害される個人的法益との実質的な権衡を考え、かつ、警察官が、警察法に定めるその職責を忠実に遂行するために、必要な手段を定めることを目的として制定された警職法が、戦前の行政執行法、行政警察規則とは異なり、職務質問その他の警察権行使の要件方法およびその限界を厳重に規定していることに思いをいたすと、それが、単にその種の事犯に対する取締りについての上司の指導にそわないものがあるとか、あるいは、その職務執行の方法が多少適切を欠いたとかいうだけでなくすでに警察官の適法な職務執行行為としての域を越え、社会的にもその妥当性ないし要保護性を肯定し難いものとみるのほかはなく、また、本件における具体的状況に徴し、職務質問を実効的なものとするための附随的な実力行使として許容しなければならないほどの緊急性も認められない。そうだとすると、公務員のこの違法な行為による権利を侵害されようとした被告人が、防衛のために、その上半身を二回くらいふり動かした行為が、公務執行妨害罪の構成要件に該当するものでないことはもちろん、その程度の行為は、それ自体、正当防衛行為として、暴行罪についての違法性も阻却されるものと解せざるを得ないから、その結果、たまたま、被告人の右腕をつかんでいた八田巡査の左手指が車体の枠にぶつかり、判示のような傷を負つたからといつて、これを過剰防衛行為として、傷害罪に問擬することはできない。なぜならば、傷害罪が、暴行─有形力の行使─の結果的加重犯であるにしても、それは、あくまでも、人の身体に対する「不法な」有形力の行使が前提であり、したがつて、右のように違法性の認められない有形力の行使によつて相手方に傷害の結果を与えたとしても、これに結果的加重犯理論を適用する余地はないからである。もつとも、この点については、「せまいところで、つかまれた両腕を左右にふれば、当然、手が車体に激突することは容易に考られるところであるから、被告人は、頭初から八田巡査の左手を車体の枠にぶつけるつもりで行動したのである。」というのが、検察官の主張であるが、これはあとから考えての推論の一つに過ぎないのであつて、逆に言えば、せまい車内でのとつさの出来事であつたからこそ、急につかまれて強くひつぱられていた両腕から相手方の手を離そうとして上半身を左右にふり動かしたとたんにはからずも、それが車体の枠という意外な堅いところに接触してしまつたということも、やはり充分に考えられるばかりでなく、ことにその際、被告人が、故意に上半身を右方に傾けたうえ、そのつかまれている右腕を車体の枠の方へ大きく動かした、というような事実を確認するに足る資料でもあれば格別であるが、そのような確証は見当たらないばかりでなく(被告人の検察官に対する供述調書には「私が、お巡りさんから運転台からおろされようとしたとき、腕をふりまわした」旨の記載があるが、被告人が車内で腕をふりまわした事実のないことは、審理の過程において、公判検察官も、これを認めて、その点の訴因を変更している。)むしろ、関係証拠を総合すれば、判示のように、八田巡査が被告人を車外に引き降ろそうとしてその両腕をつかみ、一~二回力を入れて強くひつぱつたため、被告人の上体が不安定となつて、おのずから右方に傾き、あやうく車外に落ちそうになつたとたんに、被告人があわてて同巡査の手を払いのけようとして、上半身を左右に二回くらいふり動かしたことが認められるのであるから、このような具体的状況からみると、そのとつさの間に被告人が、つかまれた腕をふり放そうとして上半身を左右に振るという自然な動作以外に、さらに、八田巡査の左手を車体の枠に打ちつけようとの意図を抱いてその行動に出た、と推論するのは無理であり、また、車内がせまいということや、被告人が前記供述調書の中で、「お巡りさんが手にけがをしたのは、私が腕をふりまわした時かも知れない。」と述べていることなどに依拠して、八田巡査の左手が車体のどこかにあたることを予想し、または未必的にでもせよ認識していたと推論するのも、擬制に過ぎると思われるばかりでなく、このようなとつさの間に、

八田巡査の左手指が車体の枠にぶつかるかも知れないという点にまで配慮が及ばなかつたからといつて、ただちに被告人に過失がある、と速断するのも困難である。なお、右の点に関連して、八田証人は、「相手は、自分の手をぶつけようと思つてやつたと思うが、相手のやることだから、自分にはどちらともわからない。」とややあいまいな供述をしているのに対し、武田証人は、「車がせまいから、三回も右肘を左右に動かせば(ちなみに、同証人が「三回」と言つているのは、最初、八田巡査が、左手で被告人の右肘のあたりを押さえて降車を促した際、被告人がこれをふり払つたこともふくめての趣旨である。)車内のどこかにぶつけようと当然意識してふつたと思う。」と断言しているが、武田証人は、八田巡査の左手指が、現実に、車体の枠にぶつかつたことは知らなかつたのであるから、その言うところは一般論であつて、説得力がないばかりでなく、被告人が八田巡査の手を車内のどこかにぶつけようとして、三回もふり払つているというのに、同巡査の手が比較的まじかにあつて、一番ぶつけやすいと思われる運転台の座席などに打ちあてられた形跡のないことはいささか不自然である、といわざるを得ない。また、八田証人の前記供述も、同証人が、なぜ、相手が自分の手をぶつけようと思つてやつた、と考えるのか、その具体的な根拠が示されていない以上、本件におけるような状況の下においては、必ずしも納得のいきかねないふしがある、といわざるを得ない。したがつて、検察官の前記主張には賛同することができない。

なお、右の結論は、八田巡査の被告人に対する行為が、その職務行為としての適法性の域を越えたものであるということを前提としての考察の結果であるが、本件においては、仮に同巡査の行為がなお適法な職務執行行為である、という見解をとつても、やはり、その結論そのものは同一に帰すると考えられるから、つぎにその理由を略記する。

八田巡査の判示行為が非強制処分である以上は、それが適法な職務行為であつても、その指示に従うかどうかは、あくまでも、その相手方である被告人の任意にまかされているのであつて、被告人は、それに従うべき法律上の義務を負担するわけではないから自由にこれを拒否することができるし、また、その拒否の方法としても、単なる口頭による拒絶だけに限られるべき理由はなく、それが暴行罪、脅迫罪などに該当するような違法性のある行為に出ない以上、相手方警察官の実力の行使から免れるため、ある程度の有形力を行使することも許されるものといわなければならない。なぜならば、もし、それさえも禁じられるとすれば、実質上、その処分は強制処分となんらえらぶところはないことになるからである。したがつて、たとえば、警察官から、腕をおさえられて職務質問を受けている者が、それを拒否して迯れるために、その腕をおさえている警察官の手をふりはなして迯走したからといつて、そのような行為自体が、ただちに公務執行妨害罪における「暴行」にあたらないことは明らかであるといわなければならない(もつともこの点は、強制処分による逮捕のばあいについても、なお、同様のことがいえるであろう。)。これを本件についていえば被告人は、八田巡査から、その左手で右肘のあたりをおさえられ、「降りろ。」と強く言われて下車を促されたが、これを拒否していつたんその手をふり放したところ、こんどは、同巡査が、判示のように、両手で被告人の両腕をつかみ、一~二回強引にひつぱつたため、被告人の上半身が右方に傾き、あやうく車外に転落しそうになつたので、あわてた被告人が、これを拒否するため、同巡査の手を払いのけようとして、その上半身を左右に二回くらいふり動かした、というに過ぎないのであるから、被告人が、八田巡査の両手をふりはなすためにこの程度の挙動に及んだからといつて、前掲の判例にあらわれているような回をかさねての殴打などとは異り、それが、本来非強制処分である八田巡査の本件公務の執行を妨害した暴行にあたるとは、とうてい考えられず、したがつて、検察官が、八田巡査の本件行為が適法な職務の執行であるとの見解をとりながら、被告人を公務執行妨害罪として起訴しなかつた理由については、検察官側の一応の釈明にもかかわらずなお充分理解し難いものがあるにせよ、その点を深く詮索するまでもなく、さように違法性のない有形力の行使によつてたまたま生じた傷害の結果について、被告人に結果的加重犯としての傷害罪の責任を負わせるべきすじ合いのものでないことや、また、その際、被告人が、八田巡査の左手を車体のいずれかの部分に打ちつけようとする意図またはその未必的な認識をもつてその行動に出たものと推認し得る状況でなかつたことは、いずれも、さきに述べたとおりである。なお、巡査から職務質問をうけている間に、その巡査の肩を押したところ、同巡査が、尻餠をつき、その際右手拇指を捻挫したという事案について、その行為が、自己防衛本能から、なかば無意識下の反射的挙動としてなされたものであるとの理由によるものではあるが、公務執行妨害罪の成立を否定した判例のあること(昭和三一年五月三一日広島高等裁判所)も、本件についての参考になるものと思われる。

さきにも、述べたとおり、本件における事件の発端から公務執行妨害罪の現行犯人として逮捕されるまでの間における被告人の一連の行動にも、常識上、行き過ぎと認められる点のあることはたしかであり、これについては、被告人の将来のため、強く反省を求めなければならないが、それはそれとして、すくなくとも本件の公訴事実として訴因に示されている範囲においては、以上に述べたところにより、被告人を有罪と断ずるに足るだけの証拠が充分でないから刑事訴訟法三三六条の規定に従い、主文のとおり、被告人に対して、無罪の判決をする。

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